真夏の果実

「…なにこれ」
「おまえがリクエストしたやつ」

 我ながら殺風景な部屋だが、職業柄、酒をつくる道具は結構揃っている。グラスの種類はあまりないが、シェーカーもサイズに応じて何種類かあるし、ベースとなるスピリッツや、リキュールの類も最低限のものは置いてある。新しいカクテルを試すのに必要だからだ。仕事が終わってから片付ける前に作ることもあるが、昼間に思い立ってつくることもある。店でオーダーを受けるのはスタンダードなものが多いが、最近はカクテルの本もいろいろ書店に並んでいるから、こんな地方都市でも変わったオーダーが出る場合だってあったりする(そんな変わったものを注文したがるのは、たいてい若い女性だ)。
 それをいいことに、うちの半同居人は俺の家で勝手なオーダーを出す。半というかなんというか、自分だってちゃんと帰る家があるくせに、なぜか月の半分以上は俺の家に転がり込んでくるのだ。最初は帰れと言っていた俺も、性懲りもなく店の帰りに当然のように同じ方向に足を向ける下村に、言う気力を失った。貧乏性(…やつに言わせればそうなんだそうだ)な俺としては、それくらいならいっそ無駄な家賃を払うのをやめて、あっちの部屋を引き払ってここに住めばよさそうなもんだと思う。もっとも、そんなことをこっちから言ってやろうものなら、下村をつけあがらせるだけなので、今のところ黙っているが。
 そんなことはさておき、当然のように俺の部屋で偉そうに足を投げ出しているやつは、「酒が飲みたいな」とこれまた当然のようにリクエストした。…確かに俺の職業はバーテンだが、仕事がはねた夜中にまでわざわざ応じてやる筋合はないのである。ことに、ろくに家事も手伝わない半居候に。…と、思ったが、リクエストを聞いて、つくってやることにした。その理由は、今俺の目の前にでんと鎮座ましましている。

「…おまえ、ちゃんと俺の頼んだやつ聞いてたか?どう見ても、これは違うと思うけどな」
「あってんだよ。ただフルーツが違うだけ。」

 やつが困惑するのもムリはない。部屋に漂う香りは、グレープフルーツの苦味を伴ったものではなく、もっと薄くて甘いものだ。多分、このカクテルの色を見て、まず十人中十人は名前を当てられないだろう…あのスタンダードなカクテルの名前は。

「ほんとかよ?どう見てもソルティ・ドッグじゃねぇだろ、これは」

 そう。下村のリクエストはソルティ・ドッグだった…そして今やつの前に置かれているグラスの中身の色は、柔らかい赤だった。夏のくだものと言われれば、日本人ならまず思い出すであろうもの。夏の風物詩。――そう、すいかだ。

「なんでソルティ・ドッグがすいかなんだよ!?俺が頼んだのは普通のやつだぜ」
「おまえがわがまま言うからだろ!!」

 だん!!と大きな音を立ててテーブルをたたいてみせる。その振動でグラスが揺れ、グラスのふちから少しだけ赤いカクテルが溢れ、テーブルにこぼれた。

「だいたいなぁ、おまえなんでこんなでかいすいか買ってくんだよ!!うちの冷蔵庫見たら、入らないことくらいわかんだろ!!」

 うちの冷蔵庫は小さい。単身者用というやつだ。自分で言うのもなんだが、もともとが結構マメなタチだし、買い物だって嫌いじゃない。どうせ日中はヒマなのだ。なにかがきれれば近くのスーパーにでも買いにいけばいいんだし、古くなったものを冷蔵庫にしまっておく趣味もない。だから小さい冷蔵庫で十分だった――この男が転がり込んでくるまでは。
 なんだか日中にどこやらに出かけたと思うと、戻ってきたときにはこのでかいすいかを抱えていた。どう見ても、ささやかな俺の冷蔵庫の野菜室には入らない大きさだ。しょうがないので外に置いておいたら、こいつはやれ冷えてないとすいかは美味くないとぬかす。しょうがないので切りわけてからラップかけてしまおうとすれば、切って冷蔵庫に入れると水気が飛んでまずくなると言う。――どうしろってんだ。
 そんなに大事なら、いっそのことすいかと一緒に部屋から蹴り出してやろうかと思ったが、出勤時刻も迫っていたのでそのままにして二人で部屋を出た。店で酒をつくっている間は忘れていたが、帰ってくると当然ながらやっぱりすいかは偉そうに台所を占拠していた。どうするよ、これ。溜息をついているところに、すいかに輪をかけて偉そうな居候が「ソルティ・ドッグが飲みたい」などと言い出したのである。これ幸い、とすいかに包丁を入れてやった。…カクテル作るのに切って既成事実をつくっちまえば、そのままなしくずしに冷蔵庫に入れられるという考えが脳裏を横切ったからだ。それにすいか自体は冷えてなくても、氷と一緒にシェイクするから、カクテルにしちまえば冷たくなる――ってなんで俺がここまでしてやらなきゃいけないんだ…ああやっぱりすいかと一緒に奴を蹴り出してやればよかった…。
 俺の剣幕に押されたのか、下村はひとつ肩をすくめてグラスを右手にとった。俺ももうひとつグラスをとり、ふちに塩をつけてきれいにスノースタイルをつくると、自分の為にシェーカーを振った。とろとろと赤い液体がグラスを縁まで満たす。シェーカーをくるりとひとつまわして滴をきる。

「うわ、ほんとにすいかの味がする…」
「そりゃ当たり前だろ、すいか使ってんだから」
「いや、それだけじゃなくて、この縁の塩がさ。なんか塩ふったすいか食ってる感じ」
「…俺はすいかに塩ふらないけどな」
「そうか?なんか塩ふったほうが甘くねぇ?」
「そういやおまえ、トマトにも塩ふるよな」
「うちはそうだったんだよ」

 いつもどおりの、たわいもない話。そのあとどうなったのか、その先のことはよく覚えていない。子どもの頃の、夏休みの話でもしたような気もする。三十も近い、水商売の男が夜中に二人で話すようなことでもないのだろうが、ほのかに甘い、水気の多い真夏の果実には、どこか郷愁を呼び覚ますものがあった。ごくささやかな、ありふれた日常の記憶。


 ――あれからまた、何度目かの夏がめぐってくる。俺の傍らに下村はもういない。奴の葬儀の時に嗚咽をこらえていた高校生の安見は、いまでは随分と綺麗になり、大学に通っている。俺のところに集まってくる連中でも、東京から帰省してきた彼女を見かけるたび、眩しそうな顔をするのは一人や二人ではない。秋山さんが死んだとき、「お酒を飲みたいけれど、お店には入りづらくて」と言っていた彼女も、今では時々店に顔を出すようになった。…そう、あのとき裏口で待っていた安見のために社長を呼びに来たのも下村だった。俺達にとって、安見はずっと年の離れた妹のようなものだった。しかし最近、まだ子どもだと思っていた彼女が時々いっぱしの女の表情を見せるとき、下村がいなくなってからそれだけの月日が流れたのだと、少しやるせなく思う。
 けれど今、俺の部屋の前で屈託なく笑う彼女は、あいかわらず俺と下村の知っていた頃の安見のままの顔をしている。

「たくさん頂いちゃったの。だから坂井さんにもおすそわけしようと思って」

 そう言って、すいかを持ち上げてみせた。一人じゃ食べきれないだろうけど、坂井さんのとこならいろんな人がくるでしょ?そう言って俺の手にすいかを渡した。ずっしりと重い、大きなすいか。安見はそう言うが、ここ何年も、自分の部屋に他の人間を入れたことはなかった。俺を訪ねてくる人間はいるが、部屋にあげることはしない。話があれば、俺の方から外に出た。ある意味、臆病になったとも言える…自分の内側に人を踏み込ませることに。だから、半同居人を失ってまた一人暮しに戻った俺の部屋の冷蔵庫は、やっぱり小さいままで。多分、この大きなすいかは入らないだろうと思う。

「これを持って歩いてきたのか?重かっただろう」
「そうよ、ほんとに重かった。汗かいちゃった」

 どうせこのすいかを貰ったところで、一人でもて余すのは目に見えていた。そのまま人にあげてしまえばよさそうなものだったが、ふとあのときのカクテルを思い出した。赤いソルティ・ドッグ。あの夜以来、一度もつくったことのないカクテル。

「…時間があるなら、寄っていくか?せっかく貰ったから、これでカクテル作ってやるよ」
「ほんと?実は咽喉渇いてたのよ」

 大学に入って飲むことを覚えた安見は、結構酒に強かった。多分、父親の秋山さんに似たのだろう。坂井さんがつくるお酒の味を覚えちゃったら、大学のコンパのお酒なんて、まずくて飲めないわ。いつかそんなことを言っていたくらいだから、昼に1杯くらい飲ませたところでどうということもないだろう。
 お邪魔しまーす、などと言って丁寧に靴を揃えて部屋にあがると、ものめずらしそうに見まわす。そういえば、下村がいなくなってから部屋にあがった人間がいないのだから、安見にしてみても数年ぶりということだろう。全然変わらないのね、とやや呆れたように言う彼女を残し、すいかを抱えて台所へ行く。包丁を入れ、ウォッカの瓶を取り出す。スノースタイルにしたグラスに注いで持っていってやると、安見はありがとうと言って受け取った。

「すいかのカクテルなんてはじめて。これ、なんていうの?」
「ソルティ・ドッグ」
「うそ。あれはグレープフルーツでしょ?」
「フルーツは違うけどな」
「へぇ…あ、ほんとにすいかの味がするのね」

 一口飲んで、嬉しそうに笑う。

「お店ではこれ、出さないの?」
「そのつもりはないな…気に入ったんなら、また作ってやるよ」
「そう、ありがと…美味しいわ、これ」

 そう微笑むと、またそっとグラスに口をつけた。

「ねぇ、これ、名前ないの?フルーツが違えば、名前も違うんじゃない?」
「さぁ…俺は知らないけどな」
「ふーん…坂井さんのオリジナル?」
「いや…他の人に教わったから、そういうわけじゃないけど」
「でも名前がないの?」
「あるのかもしれないけど」
「つけちゃえば?」

 “名前、つけちまえばいいじゃねぇか”
 “なんて?”
 “そうだなぁ…じゃあ考えといてやるよ”
 “どうだろうなぁ、下村がつける名前じゃな”
 “うるさい、その台詞、覚えとけよ”

 夏が終わり、秋が過ぎ、冬が近づこうとする頃、やつは俺のそばからいなくなった。結局、下村がそのカクテルに名前をつけることはなかったし、あれから俺がこれをつくることもなかった。夏がきても、すいかを買うこともない。ただ、目にした折にふと、あの夜のことを思い出すだけだ。

「…いいんだよ、名前なんかないままで」
「ふーん」

 一瞬、答えるまでに不自然な間があいたが、安見は何もなかったふりをして、ごちそうさまでした。と頭を下げた。彼女も、この街でいろんなものを失くした一人だ。これからママと約束があるの。夜、一緒にお店に行くわ。使ったグラスを洗うと、そう言い残して帰っていった。
 ドアが閉じられると、俺はまた、部屋に一人になった。残されたすいかを切り分け、ラップをかけて冷蔵庫にしまう。やはりすいかは大きすぎて、冷蔵庫におさめるには少し苦労した。
 窓の外には、真夏そのものの青空が広がっていた。こんな日には、さぞや海辺は人でにぎわっていることだろう。時刻は午後3時。店に出るには少し早いが、なんとなくこんな手持ち無沙汰なままで部屋に一人でいたくはなかった。少し車を走らせて、宇野さんのところにでも寄ってみよう。そう決めると、俺は立ちあがり、出勤の準備を始めた。
 鍵をかける。ふとそのとき、この部屋の合鍵はどこに行ったのだろう、と思った。我が侭な半同居人は、当然のように合鍵を要求した。不便じゃねぇか。渡しとけよ。代わりにあいつの部屋の合鍵も貰ったが、俺がそれを使ったことは一度もなかった…部屋の主自体がほとんどこちらの部屋にいりびたったままだったからだ。その鍵は、遺品の整理を任せた高岸が管理会社に返したはずだ。俺はとうとう葬儀のあとも、あいつの部屋に行かなかったから。じゃあ、俺の部屋の鍵はどうなったのだろう。今でもあいつが持ったままなのだろうか…死んじまってから、もう何年も経つのに。そういえば、やつの骨と一緒に白い壷の中に納めてやったような気もする。けれど記憶はやっぱり曖昧で、俺もどこか動揺していたのかもしれない。じゃあやっぱり、あいつが持ったままということなんだろう。
 しかし幽霊にも合鍵ってのは必要なんだろうか?律儀に鍵をあけて、玄関から帰ってくるやつの姿を思うと、ちょっとおかしくなってくる。
 いいじゃねぇか。どうせあいつ以外がこの部屋にくることはない。やっぱりここはあいつの部屋でもあるんだから、合鍵のひとつくらい、持っておけよ。そう思うと、すっと心のどこかが軽くなったような気がした。
 途中、大きな花束を抱えた年配の女性とすれ違った。その花の色合いは地味なもので、いわゆる仏花というやつだ。左手には細い木の枝を束ねたもの。そういえば、今日が盆の入りだ。死んだ人がこの世に戻ってくるという日。ならば今夜、カウンターの中に立っていれば、懐かしい人達がさりげなく店を尋ねてくるかもしれない。宇野さんの事務所に寄るのはやめて、今日は少し早めに店に出てみよう。あの人たちの為に、久々にカクテルを作ろう。そう決めた。
 たまには帰ってきやがれ。そう呟いて、部屋の鍵を軽く右手で放り上げてみた。頭上に上がった鍵は、真夏の強い日差しを浴びて、眩しいくらいに輝いていた。 

【Fin】

お盆記念!!ということで2000年のお盆当日に
(法事の最中にネタを考えつつ)書いたもの。
しかしクリスマスより誕生日より「お盆」が
メインイベントとなりつつある私の原稿って…。
一度秋芳さんにこの話を使って作ってもらったコピー本が、
赤い紙の本文+緑色の表紙のスイカ色で
かわいかったので、気に入っています
(※本文の内容とは全く関係ないレベルだけど)。
ちなみにうちの坂井は、下村とは相棒レベルなので、
これは「同棲」ではなく「居候」なのです。
私の気持ちの中では。


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